音楽な人・小川真一さん 2/4

更新日:2021年3月22日

まちに関わる○○な人に豊橋まちなか会議事務局がインタビューして○○を深堀する「となりの“まちびと”たち」をお届けいたします。
今回は音楽な人ということで、水上ビルでレコード店「ラビットフット・レコード」を経営されていた音楽評論家の小川真一さんです。FMヤシの実の「ラビットアワー」(毎週木曜18時~)で共演している竹内竹蔵さんと一緒にお話ししてくださりました!(取材日 2020.11.16)

No.2 音楽評論家 小川真一さん
音楽評論家。ミュージック・マガジン誌、レコード・コレクターズ誌、ギター・マガジン誌、ロック画報などに寄稿。共著に『日本のフォーク完全読本』(シンコーミュージック・エンタテイメント)『ジェネレーションF 熱狂の70年代×フォーク』(桜桃書房)ほか多数。最新刊は「フォークソングが教えてくれた」(マイナビ新書刊)。1979年から豊橋にてレコード店「ラビットフット・レコード」を経営(2003年閉店)

第2回 あの頃と今

事務局K ラビットフット・レコードが開業した1980年当時の社会の雰囲気はどんな感じだったのでしょうか?

小川さん 1960年代末期から1970年代にかけてヒッピー・カルチャーが大流行し、その後、その影響下にあったポスト・ヒッピーに関する様々な本が出ていました。例えばレイモンド・マンゴーの「就職しないで生きる本」とか、アビー・ホフマン「この本を盗め」、全世界カタログ「Whole Earth Catalogue」などもそうです。今でいうエコロジーに直結したものあったと思うけれど、そういう内容の本がたくさんありました。要するに、生き方の選択肢としてナチュラルに生きるためにはどうすべきか、社会に従属されない生き方はないだろうか、とか。僕はそういった、ポスト・ヒッピー文化の影響を受けたと思います。

竹内さん 変な人が純粋だった最後の時代ですよね。

小川さん そうだね。一番面白いのは、そういったポスト・ヒッピー世代の一部の人がコンピューターの世界に行ったことです。その筆頭が、あのアップル・コンピューターを創ったスティーヴ・ジョブズ。ジョブスは大学をドロップアウトしたり、東洋に憧れてインドに行ったりもしたんだけど、他にも元ヒッピーでコンピュータを始めた人がたくさんいました。表計算ソフトの基礎を作ったダン・ブルックリンなんかもそうだし、「Whole Earth Catalogue」つくったスチュアート・ブランドは、80年代になるとWELLという電子掲示板システムを作りました。その後のパソコン通信やFacebookの先駆になったようなものですね。電脳カルチャーのカルチャーの部分を作った人たちがその周辺から出てきました。実は僕も、90年以降はあまりラビットフット・レコードには顔を出さなくなるんですよ、コンピュータの方に行っちゃってコンピュータ・グラフィック(3D Graphics)ばかりやってました(笑)。

事務局K そのころの豊橋のまちなかには映画館や個性的な店があったと聞きます。小川さんは人と人とのつながり…例えばお客さんと店長さんとのやりとりからつながりが出来たり…なんて出来事は、昔と今とではどのように変化していると感じますか?

小川さん 当時と今とではネットがあるかないかですごく違うと思います。人間と話すより、ネットでコミュニケーションをとる方がハードルが低いので、街で繋がるより楽なんじゃないかな。逆に、街ではそういう場が少なくなっていると感じます。

竹内さん 当時僕は高校生でしたが、その時豊橋のまちなかの店に行くということは、店員さんとか店長さんにどうしたら自分を覚えてもらえるかという、いわば勉強をしに行く感覚でした。僕らのほうがお客さんなんだけど、こちらが立場は下なんです(笑)。服屋にしても、レコード屋にしても、教わる場所でしたね。店の人と会話ができたら「いっちょまえ」っていうか。そういう気持ちで僕は蒲郡から来てました。ワクワクしながら(笑)

小川さん 現実のまちを考えると、ポジティヴにそういう繋がりが持てる場所があった方がいいと思います。今の時代だとそれは、かなりフリーな環境でないといけない。例えばプラット(穂の国とよはし芸術劇場)のような公共の場もありますが、目的がないと行きづらく感じます。
例えばレコード・ショップに入ればお客さんとして受け入れられる。カフェも飲み物さえ頼めば目的なく座っていられる。こういった条件から外れてもフリーで交流の出来る場所。それを作ることも継続させる事も、昔より難しくなっていると思います。

小川さん そういう意味で今、面白いと思っている場所は水上ビルに新しくできた「FreeStyleBAR?輪-Rin」です。あそこの動向は非常に面白く注目しています。なにか新しいものが出来てくるんじゃないかと思って。

昔は、街の中で生きていくためには今よりも厳しい部分があったように思います。これを僕は「街の掟」と呼んでいるんですが、こういうことをしていたら怒られる、というよりも、こうしていたら格好悪いぞ、みたいな尺度がありました。
例えば「電車の床に座ってはいけない」。これはモラルとか道徳とかでなく、もっとプリミティヴなところでの共通認識としての規範があった。その意識が今は薄れているように感じます。

竹内さん そういった面で、昔のカルチャーを作った人はインテリだったと思います。例えばテレビなどで「変わった人」を紹介しても、その変わった部分だけを教えられてしまう。本当はその人なりのバックボーンがあると思うのですが、それを視聴者が感じ取れなくなってしまった。
先ほどの「座ってはいけない」にしても、最低限のハードルすら関係ないというふうに勘違いしてしまうんだろうなと。

事務局O 正直、僕の齢でも、学生時代に比べておもしろいと感じる場所が減ってきている感覚があります。

小川さん その一つの答えになるかもしれないんですが、昔ハブになっている店っていうのは、今の時代は儲からないんですよ。これらは先陣たちの努力によって成り立っていた。ビジネスを考えたらやっていられない(笑)。それをもう一度作るのは、店側の努力であり、そこへ行く人の努力であり、意図しないと出来ないような気がする。面白い場というのは、結局は自分で作らないと。

(第2回 あの頃と今 終了)

ニュース
カテゴリー
News Archives
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
PAGETOP