Interview―となりの“まちびと“たち vol.1 アートな人

更新日:2020年9月16日

まちに関わる○○な人に豊橋まちなか会議事務局がインタビューして○○を深堀する「となりの“まちびと”たち」をお届けいたします。
第1回目は、アートな人ということで、水上ビルの自宅兼アトリエ「冷や水」を拠点に活躍されている舞台映像作家の山田晋平さんです。(取材日R2.9.4)

No.1 映像作家 山田晋平さん
舞台映像作家。1979年生まれ。京都造形芸術大学卒業。
演劇やコンテンポラリーダンスを中心に、様々な舞台芸術の上演内で使用される演出映像の制作が専門。2013年から愛知大学文学部メディア芸術専攻准教授。2020年3月に退職。4月より水上ビルにアトリエ兼住居「冷や水」(豊橋まちなか会議/まちじゅうステージプロジェクト)をオープンした。

  • 第1回 豊橋のまちに住むワケ
  • 第2回 芸術と教育と豊橋のまちについて(順次掲載いたします)
  • 第3回 「冷や水」と豊橋のまちなかについて(順次掲載いたします)

第1回 豊橋のまちに住むワケ

事務局K  本日は貴重な時間をありがとうございます。このインタビューは、豊橋のまちなかで活躍されている方を取材し、その会話のキャッチボールを通じてその人を深彫りして紹介しつつ、豊橋まちなか会議の活動をひろげる事を目的に行っている企画です。僕らの会話をできるだけそのまま残し、気楽に読んでいただければというコンセプトです。

山田さん なるほど。

事務局K さて、さっそくですが山田さんの生い立ちやルーツをお聞きしてもよいですか?

事務局O (…たしか)埼玉出身??

山田さん ちがうちがう(笑)。生まれたのは北海道の稚内です。22歳までは東京郊外に住んでいて、22歳の時に京都の大学に入りました。ちなみに大学入学前の4年間は高校卒業してから渋谷でずっとフリーターしていて、渋谷の映画館で働いていました。映画が大好きだったんでその時期映画館で年100本くらいのペースで見ていたんですけど…

事務局K 年100本とはすごい…

山田さん それがですね、当時渋谷の映画館でアルバイトをしていると東京じゅうの映画館をまわれる機会があって、それでたくさん見てたんですよ。でも22歳の時に、映像をつくるための勉強をしたくなって、京都造形芸術大学にはいりました。卒業後も京都を拠点にフリーランスでそのまま舞台と映像に関わる仕事をしていました。

そして2012年に愛知大学で教えませんかという話を頂き豊橋にやってきました。最初は専任、というか、実際には特任助教という役職だったのですが、実質的にはほぼ専任に近い責任と業務がある立場ということで、「それではちょっと(芸術活動の時間が取れないから)辛いかな…」と思ったんですが、その時愛知大学はメディア芸術専攻という専攻を立ち上げるタイミングで「それはおもしろいかも」と思いました。大学を創るということは、そんな経験はなかなかできないぞ、と。専任では外の仕事とか舞台とか映像創る仕事とか両立は難しいと思ったのが悩んだ点なんですが、まだ当時33歳とか若かったから「なんとか体力と気力でいけるだろ!」とおもってやってみました(笑)。なぜなら人に芸術を教える事(教育)は興味があってやりたかったからです。
そしてなにより大学というものを創る仕事と聞いてとてもやりたくなりました。それで豊橋にきました。

事務局K 豊橋はそれがご縁で、それまでは一回も…

山田さん 来たことないです。

事務局K 初めて豊橋の地を踏んだ印象はどうでしたか?

山田さん 愛大のキャンパスの印象がすごい良かったです。森で(笑)。雰囲気が良くてここだったらいいなという印象でした。そのあと豊橋駅の方に行きましたが、その時はまちの印象よりも「新幹線が停まるんだ。ラッキー」って思いました。新幹線の駅があるってことは大学の外での芸術活動を続けていくうえでとても大きいですよ。

そういう経緯を経て愛知大学で教えていましたが、今年の3月に退職しました。退職の理由は、単純に自分はもう41歳なんで、映像制作の活動と教育を二足のわらじで両立させるのが体力的に厳しくなったからです。(教育と映像活動が)どっちも中途半端になっちゃうのは本当によくないから、どちらに本腰いれますか?って考えた時にやっぱり現場に出て芸術を作りたいと思いました。だからそれを選択しました。

事務局K 芸術活動1本に絞った時に、そのまま豊橋の地に住もうと思ったのはなぜですか?

山田さん 本当に迷ったんですよ。(愛知大学を辞めた後)次どこに住もうかと。なぜなら当時は豊橋に住むのが実は一番理由がないように思えてしまったんです。
というのも、芸術活動をするなら、僕はどこにでも住めるんですよ。どういうことかといいますと、僕の仕事は、今月は東京行ったり、先月は京都に行ったりとか、日本中にあります。それこそコロナ禍さえなければ今頃世界に出ていく仕事もあったでしょう。だから「住む場所」と「仕事する場所」って一致しないんですよ。仕事のある場所に「どこから出かけていくか」というのが僕の感覚です。

もちろん東京から出かけていくのが近いのかもしれませんが、でもよくよく考えたら今、僕にとって東京で仕事が多いかっていうとそうでもなくて。しかも別にどこかのまちに特別に仕事が多いということもないなと思いました。だからこそ豊橋に新幹線があって全国にアクセスしやすいっていうのは、ものすごく大きいんですよ。
豊橋に住むと決めるまで様々なまちを検討しました。もともと僕は海と温泉とお蕎麦が好きなので、まずはそういう環境がそろったところで暮らそうと思いました。例えば小田原とか…

事務局K (へー小田原ってそんな街なんだ)

山田さん ちゃんとは行ったことないんですけど。

事務局K …

山田さん それから海はないんですけど長野の上田市で仕事をした時に、すごい好きになったんです。お蕎麦もうまいし温泉もあるし、ちょうど現地におもしろい劇場もあってそこに通えば友達もできそうだし、ローカルな繋がりができる予感がして「これは上田に住むかっ」って本気になりました。
でも、最後にふと我に返った時に、既に豊橋で「冷や水」を作るのを本当に一生懸命手伝ってくれたクロノさんとか、他にもいろんな知り合いがいて、この人間関係を、上田のように知らない土地に行っていきなり作れるかもって思うのは少し甘いかな…と思ったんです。

そもそも次に住むならば、そこで何かおもしろい活動がしたい。併せて教育をやってきた経験から芸術の教育普及みたいなことを一人でほそぼそとやりたい、と思ってたので、そういうことを全く人脈がない土地でやるのはあんまりリアリティがないんじゃないかと思い、灯台もと暗しじゃないですが、豊橋で自分のよく周りを見れば、水上ビルでおもしろいも催しものをやっている方もいるし、それこそ2016トリエンナーレ、駅デザで多くの方とかかわりをすでに持つことができていた。ここで僕が「まちでアートを普及するようなことをやりたいんだけど…」と思った時に、相談できる人がこの土地にはものすごくいるじゃないかと気づいたんです。それで、最後は豊橋と、前に住んでいて馴染みがあって知り合いのいる京都の決勝戦になりました。

事務局K その時点で残念ながら上田は脱落と。

山田さん そうです。草の根的な何かを一緒に取り組んだことがある深い知り合いがいない土地は選択肢から脱落(笑)。
次に、アートの教育普及や種まきみたいなことをするときに、京都と豊橋はどちらがそれを受け入れてくれるか?と考えました。そうすると、その点で京都はもうその受け皿があるんですよ、十分ある。大きな町ですし、とても文化的だし。そこに僕がわざわざ新規参入することを、京都のまちはそんなに喜びはしないだろうなと。一方で豊橋は、何年間か愛知大学で教えながらこの街を見ていて、全然足りないといいますか、もっとあっていいのではと思っていました。芸術に触れる機会が。

豊橋で、そういう機会をもし僕が作り出すことができたら、このまちは喜んでくれるのではないかと思いました。そういうことがイメージできた。だから、優勝は豊橋になりました(笑)

事務局K 事務局O (よかった)

山田さん 僕がやりたい事がやれそうで、それをひょっとしたら喜んでもらえるかもしれないまち、土地柄、という期待・イメージを持てたのは豊橋でした。それが大学を辞めてからも豊橋に住み続けようと思った理由です。

(第1回 豊橋のまちに住むワケ 終了)

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